Old City |
Citadel アレッポ城 |
City Gate 城門 |
Souq スーク(市) |
Khan 隊商宿 |
Mosque モスク |
Bimaristan 病院 |
かつて城壁(CITY WALL)で囲まれていた部分が、OLD CITYとして世界文化遺産に指定されている。
アレッポ市当局とGerman Agency for Technical Cooperation (Deutsche Gesellschaft fur Technische Zusammenarbeit, GTZ), GMBHの共同プロジェクトとして復興作業(Rehabilitation)が1993から進められている。
JALLLOUMの路地
AQABAの路地
Bab Qinnesrin近くの路地
Old Cityの中心にあってアレッポ最大の史跡で観光の中心。外国人だけでなくアレッポ近郊から訪れる人も多い。
近年、海外援助で発掘が進められ、深い部分ほど古い遺跡が見られ、1800BCまで遡る古代から拡張されてきた城塞であることが判明している。現在の表面に見える部分は13から16世紀の建造。
長辺が約400mで高さ約40mの楕円形すり鉢を伏せたような小高い丘の上に石積みの城壁をめぐらして建っており、遠く市外からその偉容を望むことができる。
西方からの遠景 西方からの遠夜景 城内モスクのミナレット
周囲を20m深さの濠で囲われており、南東部にある石橋を通って城門塔に入る。濠の下部法面は石張りで保護され、さらに所々にローマ・ビザンチン期の円柱を転用した石材が斜面補強のため埋め込まれている。石橋の下部には古代の石橋アーチが残っており、その上に建設されているのが見える。
二度のモンゴルの攻撃に耐えたが内部裏切りにより落城したと言われ、入口の城壁に残る火器痕が実際の攻防の激しさを物語っている。
周囲の堀と石橋
城への入口
入口の塔
城門は正面から突き破られないようL型配置となっていて、周囲には銃矢口、直上には石を落としたり熱油を注いだりの石落とし口で防御されている。ここからはS字クランク状に折れ曲がった石積クロスボールトによる通路となっていて、2つの中門を経て坂を上り切れば城内の展望が開ける。
城門塔の上部には、最後のモンゴル侵攻の後に建設された大きな「王の間」ホールがある。当初は9個のドーム屋根で覆われていたが現在はフラットな屋根に再建されている。
城内には大きな地下空間が迷路状に連続して設けられていて、ビザンチン時代に設けられたという貯水槽がある。Mosque of Abraham
アブラハムが腰掛けた石が保存されていたという教会の跡に建てられたモスク(1167 Nur al-Din Zengi)で、教会の柱が北側の壁に残っている。その教会にはバプティスマのヨハネの首が5世紀になってBaalbek(レバノン)から移され埋葬されたとされている。
Great Mosque of the Citadel
北西部分にあり、市内の眺望がよい。
1213 al-Zaher Ghaziによる建設。小さくまとまった綺麗なモスクで、回廊、中庭、ドームのある南側の礼拝室ともに質素で飾り気少ない。ミナレットは矩形平面。Ayyubid Palace
アイユーブ朝時代の宮殿。Muqarnasのボールトと白と黒(石灰岩と玄武岩)のストライプ模様の石積みからなるエントランス。
モンゴル侵攻時にほとんど破壊されているが中庭を有する典型的なアラブ建築で、奥には、ほぼ復元作業の終わったハンマァム(蒸し風呂)がある。なお、城内にある円形劇場は最近(1980)の建設。
現在はほとんど消失しているが、オールドシティをかつて囲っていた城壁と城門の一部を見ることができる。地図を参照
キニシリン門(Bab Qinnesrin)
南西部に位置。キニシリンは約20km南方にある街の名前。塔がマムルーク時代に増築されている。
最初の建造は10世紀で、13世紀およびマムルーク期に再建されており、現存の城門の中では最も保存状態がよい。
キニシリン門外側
門内部の銃矢口
城壁
キニシリン門の西方では部分的に現存している城壁を見ることができる。
基礎部分はローマ・ビザンチン時代に、その上部は2〜13世紀に築造されたとされている。基礎部の石の大きさとその上部にある石の大きさの違いに注目。さらに上の石積みは後から住み着いた住人が設けたもので、緻密な建造の城壁とはあきらかに質が異なる。
マカム門(Bab al-Makam)
南部に位置。マカムとはイスラム教の聖人が埋葬されている場所、この門の南側には霊廟、墓地が残っている。
15世紀の建造。わずかに残るアーチが綺麗。ダマスカス門とも呼ばれた。
マカム門南側
銘板
マカム門北側
アンタキア門(Bab Antakya)
西部に位置。アンティオキア(現トルコ領)方面への出入りに使用された門。現存では最も古く12世紀の建造で、15世紀に改修されている。7世紀アレッポを征圧したアラブモスレム軍はここから入城した。
ここからアレッポ城まで全長が中東最長といわれるスークが伸びている。かつては門外近くににQoweiq川が流れており、北側はAL-AQABA、南の方はAL-JALLOUMと呼ばれ古くから発達した地区である。
アンタキア門外側
銘板
アンタキア門内側天井
ナスル門(Bab al-Nasr)
北部に位置。名前は勝利(Triumph, Victory)の門という意味。サラハディンの息子により再建された。
ハディド門(Bab al-Hadid)
北東部に位置。名前は鉄(Iron)の門を意味し、マムルーク時代の再建。
ハディド門外側
銘板
ハディド門外側
アハマル門(Bab al-Ahamr)
東部に位置。名前は赤(Red)の門という意味。赤い土に由来。城門は現存しておらず地名のみ残っている。
ナイラブ門(Bab Neirab)
南東部に位置。城門は現存しておらず地名のみ残っている。
ファラジ門(Bab al-Faraj)
北西部に位置。城門は現存しておらず、地名としてのみ残っている。ファラジとは、困難が切り開ける時の神のご加護を表わす。近くに時計台があって、ダウンタウンの中心に近い。最近、この時計台の北東方向の空き地にシェラトンホテルの建設が進行中。
時計台 進捗2002/APR 進捗2002/AUG ジニン門(Bab al-Jinin)
ファラジ門とアンタキヤ門の間にあり城門の一部だけが残っている。
ジニンはgardenの意味。Aqabaの丘を降りてきてこの門を抜けて外に出ればQoweiq川のほとりの庭園がすぐそばにあった。
織物、香料、食料、家畜類などあらゆる交易の中心であったアレッポのOld CityにはKhanと呼ばれるマムルーク時代からオスマン時代にかけての隊商宿の建物が多く残っており、かつ、いまだにその機能を果たしている。
それぞれ廊下を内側に持つ2階建てで、中央に小さなモスクのある広い中庭を有し、外国人や同業の隊商の逗留場所であり売買市や事務所の機能もあった。また近世には領事館にも利用されてきた。
商都アレッポのKhanはその数・規模・豪華さで有名で、イスタンブールのモスク、ダマスカスのハンマァム、バグダッドのカフェ、アレッポのカーンと並び賞せられた。
入口は荷を背負った駱駝がそのまま通過できるように高い門となっていて、これが閉じられている時は門に併設されたKhawkhaと呼ばれる小さなドアから出入りする。
Khan al-Harir、Khan al-Joumrouk、Khan al-Nahhasin、Khan al-Khayer Bek、Khan al Sabon、Khan al-Shounah、Khan al-Wazeer、Khan al-Nahsinなどが著名。
Khan Khayerbek
エントランスKhan al-Nahsin
エントランスKhan Al Joumrouk
内側からエントランス
Khan al Sabon
入口上の壁面が綺麗Khan al Sabon
ゲートのKhankhaKhan al Sabon
2階の廊下
Khan al Wazir
入口壁面Khan al Wazir
内部壁面Khan al Wazir
2階の廊下
Khan al-Shounah
アレッポ城前の土産物店Textile Workshopが併設されている ウールの計量
Bab AntakyaからCitadelに向かう道沿いは総延長7kmにも及ぶ中東でも随一の長さの迷路状の屋根付きスークで、ボールト屋根が夏の日射・冬の雨を防いでいる。
古代からAGORAとして開けたが13世紀〜16世紀ころに現在の形に発展し、生活雑貨、食品、生鮮食料、香料、衣類、金銀などありとあらゆるものが扱われて、「カイロのスークで1ヶ月で売れるものは、アレッポのスークでは3日で売リ切れる」と言われるほどの繁盛ぶりであった。
天窓から光が差し込む ボールト屋根 所々にドーム屋根
食品 茶 テキスタイル
石鹸 アクセサリー 香辛料
どちらもイスラム建築物で、集まって説教を聴き礼拝するのがモスク、イスラムの教義を学ぶのがマドラッサ。建物構成はほとんど同じで、併設されたり、用途が変わったりすることもある。
教会建築に見られるような絵や彫刻の装飾は一切無く、隅から隅まで徹底的に幾何学的模様で装飾されている。
al-Adliye Mosque
アレッポでのオスマン建築プロジェクト第2号、マーケットや隊商宿の建設も含む大規模な市街再開発の一環で1550の建造。adlieはjusticeの意味で、裁判所が近くにあったことに由来。東西二方向の入口からアクセス。
礼拝室入口前には5連キューポラで構成されたportico(柱廊)があり、壁面の窓上部には青色のfaience焼き(彩色の焼き物)のタイルパネルがある。
礼拝室入口 窓上のタイル Citadelから al-Bahramiya Mosque
オスマントルコ(Ottomans)時代1583に建てられたアレッポで3番目の大きなモスク。
元のドームは地震により失われ、19世紀に4本柱支持の小さなドームに置き換えられている。ミナレットも地震で倒壊し17世紀末に再建されたもの。元の柱が中庭に転がしておかれている。Mihrab(ミハラブ)の力強い装飾はMadrasa Faradisのミハラブと同じデザイン。
礼拝室 再建された柱 オリジナルの柱 al-Mahmandar Mosque
al-mahmanderはスルタンの料理長の称号。
他のモスクとは一風変わったミナレット(モンゴル調)が特徴。1822の地震で壊れ1946の再建。
特徴あるミナレット エントランス 中庭 al-Otrush Mosque
背の高い正門、西側の壁面が立派なモスク。(1403AD)
ミナレットは八角形で2層ギャラリーが特徴。(かつて3層だったとも)
西面 エントランス上部 al-Qiqan Mosque
ビザンチン時代の立派な玄武岩柱などリサイクル材で建てられているアカバ丘(Tal al-Aqaba)にある小さなモスク。アカバ丘はかつてアクロポリスだった地域で、少し高台にあって市内西部の眺望が得られる。
南壁にはBC14世紀ヒッタイトのヒエログリフが残る石が使われている。
エントランス脇の円柱 南の壁面 ヒエログリフ al-Roumi Mosque
14世紀アレッポ知事ガバナーMankali- Bugha al-Shamsiによる建造。円形の尖塔は東方建築の影響とされる。
ミナレット エントランス al-Saffahiye Mosque
1424建造の後期マムルーク建築。八角形ミナレット。白と黒のストライプ装飾の石積みアーチの高いエントランスが特徴。
al-Shouaybia Mosque (al-Tuteh Mosque)
アレッポに進攻したモスレムが武器を置き最初にお祈りをした場所に建てられた。現存構造は12世紀頃のもの。
歴史を刻んだ壁面 エントランス天井 Grand Omayyad Mosque
アレッポのメインモスクで広大な中庭を持つ。St.Helen キリスト教寺院の敷地を利用して8世紀ウマイヤ朝時代に建造、ペルシア(962 Nicephorus Phocas)の侵攻で焼失、ハムダニア朝のSeif al-Dawlaが再建、1169の火事で焼失、Nur al-Dinの時代に再建、以後、何度か改装を経て現代に至っている。最近改修工事が開始された。
装飾豊富な尖塔(minaret)は11世紀の建造。中庭には3つの日時計がある。
ミハラブの左の部屋にはザカリア(バプティスマ・ヨハネの父)の墓があり、遺物が納められている。ヨハネ本人はダマスカスのオマイヤモスクに埋葬されている。現地の人はザカリア・モスクと呼んでいる。
入口 木彫りドア拡大 礼拝室入口
改修中の内部 改修中の外部 Citadelから
日時計1 日時計2 日時計3 Madrasa al-Halawiya
6世紀ビザンチン時代の聖へレナ大聖堂(Cathedral St.Helen)が、12世紀にモスクに転換され、Nour al-Din al-Zengi時代にMadrasaに拡張されたもので、教会構造はそのまま主礼拝ホールに残っている。盛り土で円柱の下部は埋まっているが、上部はそのままでコリント形式柱頭が見られる。主礼拝ホール北側の部屋にあるミハラブの木彫装飾は必見。
礼拝ホール天井ドーム 下部の埋まった柱 柱頭
ミハラブ ミハラブ上部 木彫り拡大
聖へレナ(Saint Helena)
ミラノ勅令でキリスト教を公認し、ローマからコンスタンティノープルに遷都したコンスタンティヌス大帝の母后。大帝の父君であるコンスタンティウス1世と離婚後、余生を聖地巡礼に没頭し、行く先々で啓示を受けて数々の発見をしたと言われ、大帝に多くの教会を立てさせた。エルサレムではゴルゴダの刑場を発見し聖墳墓教会(Church of the Holy Sepulchre)を、ベツレヘムでは地下洞窟をキリストの生まれた馬小屋であると決定しその上に聖誕教会(Church of the Nativity)を建立した。また、ミラノ郊外では現在ケルン大聖堂に納められている東方三博士(Magi)の遺骨を発見、さらに聖衣や十字架も発見したとも言われる、啓示多きスーパー聖人である。
al-Madrasa al-Khosrofiya
アレッポにおける最初の大規模オスマン形式の建造(1537)。有名なトルコ人建築家Mimar Sinanが設計に参加したと言われている。
ミナレット(尖塔)はトルコスタイル、前廊は5連ドームで覆われ、礼拝ホールより広くなっている。
Citadelから 中庭から正面 礼拝室入口
ミハラブ 礼拝室 中庭周囲に教室
al-Madrasa Faradis
マカム門の外、南方にあるアレッポで最も美しいモスクの一つ。1234-7 Daifa Khatun (=al-Zaher Ghaziの未亡人で
孫al-Nasr Yusuf Uの摂政を務めた)の建造。Faradisはパラダイスの意味。中庭の前方3方は円柱列のアーケード、後方はボールトによるIwanで囲まれている。アラベスクの太い交差模様のミハラブ、礼拝堂の中央ドームや側廊円柱頭などMuqarnasの装飾が綺麗。
側廊アーチ脚部を結ぶ木製の耐震つなぎ材があった形跡が見られる。
中庭南面 中庭北面 後方の教室
礼拝室 礼拝室天井ドーム 側廊部分
al-Madrasa Othmaniye
AD1730-8の建造。大きなドームの礼拝堂とその前に3連ドームの前廊、両脇にIwanを有する。
高いミナレットは円形平面。広い中庭の周囲には教室が並んでいる。
中庭 ミナレット 前廊部分 Takiya Mawlawiya
城壁の外にある修道院。Takiyaは宿舎を意味し、Mawlawiyaという苦行派イスラム修道の一派の名前で、修道僧はDervishと呼ばれる。
Dervish Danceは、裾のゆったりとしたスカートのような服を着て、長時間くるくると回りながら踊り続け、瞑想に耽るのが特徴で、裾がコーン状に広がって人間の独楽が回っているように見える。
アミルパレスホテルから
al-Bimaristan al-Arghouni
キニシリン門から城内へ入り北へ約100m程にあり、12世紀マムルーク総督 Arghun al-Kamiliが住宅を精神病院に転用建設したもので、20世紀初頭まで運用されていた。
精神病者を単に閉じ込めておくのではなく積極的な治療を行っていた点において、フランス革命の時期まで隔離・虐待の扱いをしていた欧州に比べ先進的なものだった。
エントランスからヴォールト天井のホールを経て中庭に出る。中庭を囲んで3つの病棟があり、その石造壁面と幾何学的なレイアウトが綺麗。
Muqarnasと石彫装飾の施された入口 中庭。アーチ脚部の連結木材は耐震対策らしい。 アーチ脚部
Madrasa Faradisにも同様のアーチがある。珍しい長穴のドーム天蓋 個室病棟の八角形ホールへ 通路ヴォールト天井
Hammaam Yalbougha al-Nasiri
アレッポ城すぐ南側にある14世紀頃の建造の、アレッポで最も立派な公衆浴場。20世紀初頭にはフェルト製造工場として一時期使用されていたが1985年に観光省により復元工事が行われた。
内部は barrani, wastani, juwani とアラビア語で呼ばれる、更衣・休憩室、洗い・マッサージ室、高温室と3段階に分かれており、それぞれドームで覆われる大空間である。
腰巻を捲いてスチーム室に入り、体のしんまで温まったら、おじさんがヘチマでゴシゴシ洗い、痛いくらの力強さでマッサージしてくれる。もちろんオリーブ石鹸使用。曜日・時間により男女別と規定されているが、最近は外国人観光客に対してはルーズになっている。
Ladies Days Mens Days Saturday
Monday
Thursday
Wednesday(winter)Sunday
Tuesday
Wednesday(summer)
Friday10AM-5PM 10AM-2AM
Admission fees
Entry
Massage
Rubbing
Soap
Loof
Drinks(tea,coffe,herbs and cola)200 LS
100 LS
50 LS
25 LS
15 LS
25 LSTotal price 415 LS
Citadelから
エントランス
barrani 更衣・休憩室
wastani 洗い場 juwani 高温室 at wastani
at barrani
at wastani
at barrani